- 日ソ共同宣言
- 1956年に日本とソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)との間で調印され、両国の国交回復と戦争状態の終了を宣言した文書
- 1956年に鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相の間で署名された
- この宣言によりソ連が日本の国連加盟を支持し、同年12月に日本の国際連合加盟が実現した
- 平和条約締結後の2島返還(歯舞・色丹)が明記されたが、現在も平和条約は締結されていない
解説
1951年のサンフランシスコ平和条約において、ソ連は調印を拒否しました。そのため、第二次世界大戦後も日本とソ連の間には法的な戦争状態が継続しており、外交関係も途絶えたままでした。この状況を打開するため、1956年に鳩山一郎首相が訪ソし、日ソ共同宣言に署名しました。これにより両国の国交が正常化しました。
この宣言の最大の意義は、日本の国際連合(国連)加盟への道が開かれたことです。当時、日本は国連加盟を強く望んでいましたが、常任理事国であるソ連が拒否権を行使していたため実現していませんでした。共同宣言によってソ連の支持を得たことで、日本は国際社会への完全な復帰を果たすことができました。
コラム
北方領土問題については、将来の平和条約締結後に「歯舞群島」と「色丹島」を日本に引き渡すことが合意されました。しかし、国後島・択捉島を含む4島すべての帰属をめぐって意見が対立し、領土問題は解決に至りませんでした。このため、現在も日本とロシア(ソ連の継承国)の間には平和条約が締結されておらず、戦後外交における大きな懸案事項として残っています。