憲政の神様とは、明治末期から大正、昭和初期にかけての日本において、議会政治の確立と立憲主義の防衛に尽力した政治家、尾崎行雄や犬養毅を称えた呼び名です。特に1912年に始まった第1次護憲運動において、一部の特権階級による専制的な政治を打破し、国民の意志を反映する政治の実現を求めて戦った中心人物として知られています。
関連用語:尾崎行雄、犬養毅、護憲運動、大正デモクラシー、民本主義
解説
憲政の神様と呼ばれる二人は、日本の民主主義の歩み(大正デモクラシー)において決定的な役割を果たしました。尾崎行雄は、第1次護憲運動の際に桂太郎内閣を厳しく追及し、「彼らはいつも口を開けば『天皇陛下』と言い、その背後に隠れて政敵を攻撃している」といった内容の鋭い演説を行い、国民から絶大な支持を得ました。彼は衆議院議員を25回連続で当選し、63年間にわたって務め上げたことから「議会の父」とも称されます。
一方で犬養毅も、尾崎とともに護憲運動をリードしました。当時は、藩閥(特定の地域出身の有力者グループ)が政治を独占していましたが、犬養はこれを批判し、政党による政治の実現を訴えました。後に内閣総理大臣となりますが、5・15事件で海軍の青年将校に襲撃された際も「話せばわかる」と対話を試みたエピソードは、暴力ではなく言葉による民主的な解決を信じた彼の姿勢を象徴しています。
コラム
この時代背景には、吉野作造が提唱した「民本主義」があります。これは、主権がどこにあるかという難しい理屈よりも、まず「政治の目的は国民の幸福にあるべきだ」とする考え方です。憲政の神様と呼ばれた二人の活動は、この民本主義の考えを実際の政治の場で形にしようとするものでした。
また、関東大震災後の混乱期においても、彼らは言論の自由や議会制度を維持することの重要性を説き続けました。彼らの信念は、現代の日本における議会政治の基礎を築く大きな力となりました。