明治時代の外交官・政治家。日露戦争の講和会議において全権大使を務めてポーツマス条約を締結したほか、1911年には関税自主権の完全な回復を達成し、幕末以来の不平等条約を解消した人物である。
解説
小村寿太郎は、明治時代後半の日本外交を主導した中心人物です。1905年、日露戦争の終結に際してアメリカのポーツマスで開催された講和会議に日本代表として出席し、ロシア側の全権ウィッテと粘り強い交渉を行いました。
交渉の結果、韓国における日本の優越権の承認、南樺太の割譲、旅順・大連の租借権の継承などを認めさせました。しかし、賠償金を獲得できなかったため、国内では日比谷焼打事件などの激しい反対運動が起こりました。これは、当時の日本の軍事力や財政が限界に達していたという実情と、国民の期待との間に大きな乖離があったためです。小村は厳しい批判にさらされながらも、当時の日本にとって最善の講和条件を引き出しました。
その後、第2次桂太郎内閣の外務大臣として、1911年にアメリカとの交渉を皮切りに関税自主権の完全回復を成し遂げました。これにより、陸奥宗光が果たした領事裁判権の撤廃と合わせて、長年の課題であった不平等条約の改正が完全に完了しました。小村の功績によって、日本は国際社会において列強諸国と名実ともに対等な立場を確立することとなりました。
コラム
1902年の日英同盟締結時にも外務大臣として深く関わっており、日露戦争に向けた外交基盤の構築に尽力しました。また、彼は非常に小柄な体格であったことから、海外の外交官たちからは「小村ラット(ねずみ)」と揶揄されることもありましたが、その鋭い知性と誠実な交渉態度は「小さな巨人」として高く評価されていました。