『漢書』地理志(かんじょちりし)とは、中国の後漢時代に班固らによって編纂された前漢一代の正史『漢書』のうち、各地の地理や情勢を記した巻である。紀元前1世紀頃の倭(日本)に関する記述が含まれており、日本列島の状況を伝える現存最古の中国史料として知られる。楽浪海中に倭人がおり、100余国に分立して定期的に朝鮮半島の楽浪郡へ使節を送っていたことが記されている。
解説
『漢書』地理志の「燕地」の条には、「楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国と成る。歳時を以て来り献見すと云ふ」という記述がある。これは、紀元前1世紀当時の日本列島がまだ統一国家ではなく、多数の小規模な政治集団(小国)に分立していたことを示している。これらの国々は、漢の武帝が朝鮮半島に設置した楽浪郡を通じて、定期的に中国王朝側へ使いを送り、貢物を献上することで中国との外交関係を築いていた。
この記述は、当時の倭人が中国の先進的な文化や権威を背景に、自国の正当性や権力基盤を固めようとしていた初期段階の国際交流を裏付ける重要な証拠である。考古学的にも、弥生時代中期から後期にかけて、北九州を中心に中国製の鏡や青銅器が出土しており、文献記述と遺跡の発見が一致する第一級の歴史史料といえる。
コラム
日本に関する古代中国の史料には、本作のほかに、1世紀の「漢委奴国王」の金印授与を記した『後漢書』東夷伝や、3世紀の邪馬台国・卑弥呼の様子を記した『三国志』魏書東夷伝(魏志倭人伝)がある。これらの史料を時代順に比較することで、倭人社会が100余国から30国程度の連合体、さらには女王国へと統合されていく政治的変遷を論理的に把握することが可能となる。
特に、志賀島で発見された金印や、卑弥呼が授かった「親魏倭王」の称号、九州説と大和説に分かれる邪馬台国の所在地論争などは、これらの中国史料の精読によって導き出された重要論点である。中国という外部の視点を通じてのみ、文字を持たなかった当時の日本の政治状況を客観的に知ることができるのである。