- 約1万数千年前から紀元前4世紀頃まで続いた、日本列島における先史時代。
- 縄文土器の使用や竪穴住居での定住生活が始まり、豊かな自然環境に適応した独自の文化が発展した。
- 狩猟・採集・漁労を基盤とし、土偶の製作や貝塚の形成など、精神文化も豊かであった。
解説
約1万年前に訪れた気候の温暖化は、日本列島の植生を落葉広葉樹林や照葉樹林へと変化させ、大型哺乳類に代わってシカやイノシシなどの足の速い小動物を増加させました。これに対応するため人々は弓矢を発明し、豊かな森の産物や海の幸を安定的に得るための生活基盤を整えました。その最大の成果が「定住生活」の開始であり、地面を掘り込んで床とした「竪穴住居」による集落が各地に形成されました。
技術面における革新は「縄文土器」の製作です。土器を用いて食物を「煮る」ことが可能になった点は、人類の食生活における革命でした。煮沸によって、それまで摂取困難だった硬い木の実のあく抜きや、魚介類・肉類の効率的な栄養吸収、さらには食料の保存が可能となりました。この食糧事情の劇的な改善が人口の増加を支え、1万年以上に及ぶ長期的な社会の安定をもたらしたのです。また、用途に応じて使い分けられた磨製石器や、丸木舟を用いた広範囲な交易なども、当時の高い技術力を物語っています。
コラム
縄文時代の社会は、一般に貧富の差や階級差が少ない平等な社会であったと考えられています。精神文化の面では、女性を模したとされる「土偶」が製作され、安産や豊穣を願う呪術的な儀礼が行われていました。また、生活廃棄物の堆積場である「貝塚」は、単なるゴミ捨て場ではなく、生命を自然界へ還し、再生を祈る神聖な場所としての側面も持っていたことが判明しています。青森県の三内丸山遺跡に代表される大規模な集落の存在は、当時の社会が非常に高度な連携体制を築いていたことを示しており、2021年には「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録されました。