1993年に非自民・非共産の8つの政党・会派による連立政権(細川内閣)を組織し、38年間にわたって続いた自由民主党の一党優位体制、いわゆる「55年体制」を終焉させた第79代内閣総理大臣です。
解説
細川護熙は熊本県知事を経て、1992年に「日本新党」を結成しました。当時の日本政治は、相次ぐ大規模な汚職事件によって既存政党への信頼が大きく揺らいでおり、新しい政治を求める国民の声が高まっていました。1993年の衆議院議員総選挙で自民党が過半数を割り込むと、社会党や新生党などを含む連立政権をまとめ上げ、戦後政治の大きな転換点を作りました。
細川内閣の最大の功績は、汚職の温床と批判されていた中選挙区制を廃止し、現在の「小選挙区比例代表並立制」を導入する政治改革関連法を成立させたことです。しかし、急造の連立政権であったため内部の意見対立が激しく、さらに自身の過去の不透明な借り入れ問題(佐川急便事件関連)を追及されたことで、発足からわずか約8ヶ月で総辞職に追い込まれました。
コラム
細川氏は、旧熊本藩主である肥後細川家の第18代当主であり、母方の祖父は戦前の近衛文麿首相という名門の出身です。その気品ある立ち振る舞いは「殿様」の愛称とともに国民から高い支持を得ました。
政界引退後は、家系伝来の文化財を管理する一方で、本格的な陶芸家としての道を歩んでいます。2014年には「脱原発」を掲げて東京都知事選挙に立候補し、小泉純一郎元首相との連携で大きな話題を呼びました。現在は茶道具の制作や書画の執筆など、文化人としての活動を続けています。