有田焼は、17世紀初頭に現在の佐賀県有田町を中心に誕生した、日本初の磁器である。豊臣秀吉による2度の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、西日本の各大名によって連行された朝鮮の陶工たちが、有田の泉山で磁器の原料となる陶石を発見し、焼成に成功したことで生産が始まった。17世紀半ばには中国の政情不安(明清交代)に乗じてヨーロッパへも輸出され、世界的な芸術品として確固たる地位を築いた伝統的工芸品である。
佐賀県磁器伝統 market伊万里焼李参平
解説
16世紀末、天下を統一した豊臣秀吉は東アジア支配を掲げて朝鮮侵略を強行した。しかし、朝鮮水軍の将軍・李舜臣による抵抗や明の援軍により戦況は停滞し、秀吉の急死をもって日本軍は撤退を余儀なくされた。この遠征は豊臣氏の衰退を招く一因となったが、一方で「焼き物戦争」と呼ばれるほど、日本の文化・技術面には多大な影響を及ぼした。
連行された陶工の一人である李参平らは、有田の地で優れた磁土を発見し、日本でそれまで作られていた陶器(土もの)とは異なる、白く硬質な磁器の製造を開始した。当時の有田焼は、近隣の伊万里港から積み出されたため「伊万里焼」の名で親しまれた。17世紀半ばに中国からの輸出が途絶えると、オランダ東インド会社を通じてヨーロッパへ大量に輸出され、現地のマイセン窯などにも大きな影響を与えることとなった。
コラム
九州地方の工業史において、有田焼などの伝統産業は重要な位置を占める。かつて官営八幡製鉄所を中心に鉄鋼業が発展し、のちに半導体産業の集積から「シリコンアイランド」、自動車産業の発展により「カーアイランド」と呼ばれるようになった九州だが、有田焼はその高い技術力を背景に、現在も佐賀県の誇る伝統文化資産として地域の経済とブランド価値を支え続けている。