山崎の戦い

一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

1582年、織田(おだ)信長(のぶなが)が本能寺(ほんのうじ)の変(へん)でたおれたあと、豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)が明智(あけち)光秀(みつひで)をたおした戦いです。この戦いに勝ったことで、秀吉は信長の後をつぐリーダーとして認められるようになりました。

秀吉はその後、日本全国を一つにまとめる「天下統一」を進めました。1590年には、小田原(おだわら)の北条(ほうじょう)氏をたおして、ついに日本を一つにしました。

また、秀吉は「太閤(たいこう)検地(けんち)」という仕組みを作り、全国の田んぼの広さやとれるお米の量を調べました。これによって、農民は自分の田んぼをたがやす権利を認められましたが、重い年貢(税金)を納める義務も負うことになりました。

ルラスタコラム

秀吉が明智光秀をたおすために、中国地方からものすごいスピードで引き返してきたことを「中国大返し」と呼びます。約200キロメートルもの道のりをわずか10日ほどで移動したと言われており、その驚異的な速さが勝利の決め手となりました。

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