天保の改革

一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

1841年に、江戸幕府の老中ろうじゅう(幕府の政治を行う中心人物)であった水野忠邦みずのただくにが行った、幕府を立て直すための厳しい改革です。

当時は、天候が悪くて食べ物がなくなる「天保てんぽう飢饉ききん」や、大塩平八郎による反乱が起きたことで、幕府の力が弱まり世の中が不安定になっていました。そこで、水野忠邦は幕府の力を再び強めるために、値段が上がった品物を安くしようと商人のグループである「株仲間かぶなかま」を解散させたり、江戸にいた農民を強制的に村へ帰したりしました。

しかし、この改革はあまりに厳しすぎて人々から強い反発を受け、経済も混乱してしまったため、わずか2年ほどで失敗に終わりました。これにより幕府の権威はさらに失われ、時代は幕末へと進んでいくことになります。

ルラスタコラム

水野忠邦の改革はとても厳しく、派手な着物やぜいたくな食べ物、さらにはお祭りや落語までもが制限されました。あまりにルールが細かくて厳しかったため、水野が仕事をやめたとき、江戸の人々は喜んで彼の家に石を投げたというエピソードが残っているほどです。

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