大東亜戦争

一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

1941年12月に始まったアメリカやイギリスとの大きな戦争のことを、当時の日本は「大東亜戦争だいとうあせんそう」と呼んでいました。これは「アジアの国々で協力して、欧米おうべいの支配から自由になろう」という目標を掲げた呼び方です。

しかし、戦争が長引くと日本国内でも食べ物や物が足りなくなり、学生が工場で働いたり、大学生が兵士として戦いに行ったりするようになりました。町の子供たちは、空襲から逃れるために家族と離れて田舎へ行く「学童疎開がくどうそかい」を経験しました。また、アジアの国々でも日本軍が無理に食べ物を集めたため、多くの人々が日本に反対するようになりました。

戦争が終わると、この呼び方は「軍国主義ぐんこくしゅぎ的な考えが含まれている」として禁止きんしされ、今では「太平洋戦争」という名前で教わることが多くなっています。

ルラスタコラム

戦争中、学校の授業はほとんど行われず、子供たちは農作業や工場の手伝いをしていました。教科書の「墨塗り」といって、戦争にふさわしくない内容を黒いインクで消して使っていた時代もあったのですよ。

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