兵農分離

一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

兵農(へいのう)分離(ぶんり)というのは、戦国(せんごく)時代(じだい)の終わりごろに、豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)が進めた「武士(ぶし)と百姓(ひゃくしょう)(農民(のうみん))をはっきりと分ける」という決まりのことです。それまでは、ふだんは田んぼをたがやし、戦争(せんそう)のときだけ戦(たたか)いに行くという人がたくさんいましたが、秀吉(ひでよし)はそれを禁止(きんし)しました。

秀吉(ひでよし)は「刀狩(かたながり)」を行って、農民(のうみん)から刀(かたな)や鉄砲(てっぽう)を取り上げました。これは、農民(のうみん)が反乱(はんらん)を起こさないようにするためと、農業(のうぎょう)に専念(せんねん)させるためです。これによって、武士(ぶし)はお城(しろ)のまわりに住んで政治(せいじ)や戦(たたか)いを行い、農民(のうみん)は村(むら)に住んでお米(こめ)を作るという、江戸(えど)時代(じだい)につながる身分(みぶん)の仕組(しく)みができあがりました。

ルラスタコラム

豊臣秀吉はもともと低い身分から天下人(てんかびと)になりました。だからこそ、農民が武器(ぶき)を持つ恐ろしさを誰よりも知っていたので、厳しく刀狩を行ったと言われています。

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